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No.17【書評】「逃げられない世代」/宇佐美典也

本日は、 元経産省官僚の宇佐美典也さんの新著「逃げられない世代」を読んだのでその書評。

(なぜかアマゾンのリンクをはろうとすると失敗するのでリンクはなし)

 

本著タイトルの「逃げられない世代」とは、20 ~ 30代を指しており、平成生まれの自分はこの世代である。

この本は、日本が財政や安全保障などの重要な課題の解決を先送りにしてしまっていること、また、その先送りがなぜ発生するのかを説明したあと、最後の章では、そんな社会で我々個人はどのように生きていけばよいのか、ということが語られる。

 

第1章 先送り国家日本の構造と「逃げられない世代」

この章では、日本がなぜ大きな課題を先送りし、長期的に取り組むべき課題を放置してしまうのか、ということが語られる。その中のひとつには、「野党議員が政策決定から事実上排除されている」ということがあるとのこと。

日本では法案が国会に提出される前に、与党の政調会で細かい法案の内容が決められるため、国会に出るころには官僚・与党議員の間で法案の内容が完全に固まってしまっている。国会というのは法律を決める場所だと学校で習ったが、実際にはそうではなく、国会の場で法案の内容が練られていくことはない。

野党議員にとっては、政策を勉強したところでその見識が法案に反映されることはないので、与党の足をひっぱるためのスキャンダル追及以外にやることがないということである。

 

これは55年体制ができて以後ずっと続いてきたことで、日本はそれでもうまくやってきたが、日本には社会保障という大きな爆弾があり、これをどうにかする必要がある。

本章の最後で語られるが、団塊の世代団塊ジュニア世代はそれぞれ各年度200万人ずつくらいの人口がいるので、ざっくりいって、団塊ジュニア世代1人が団塊の世代1人を支えるかたちでなんとかなるだろう。だが、いまの20代は各年度100万人ちょっとしか人口がいない。団塊ジュニア世代が年老いたあと、かれらを支える世代はいないということである。

 

第2章 社会保障の先送り課題について

本章では社会保障財政の危機的な状況について語られる。

日本の社会保障給付費は年間120兆円ほど。財源は国民みんなで月々収めている社会保険料をメインとして、税金からも補填されている。

この税金のうち、一般会計からは33兆円ほどがあてられている。日本が1年間で使う国家予算というのは97兆円ほどあるが、このうち法律で決められている地方交付税交付金15兆円は勝手に削減することなどできないし、国債の返還や利払いなどの23兆円も払うほかないので、国会でつかいみちをきめられる金額というのはだいたいそれらを差し引いた60兆円くらいしかない。

そのうち半分以上はすでに社会保障が占めている、ということである。

 

第3章 迫り来る安全保障の危機

この章では20世紀の歴史に触れながら安全保障について語られる。

日本の昭和史の中で、永田鉄山を中心とする帝国陸軍には国内に資源が少ないことに対する危機感があり、それは自由貿易によって打開しようとしたが、世界恐慌にともなうブロック経済に対抗するため、日本はアジアに打って出ようとしたとのこと。

「なぜ必敗の日米開戦に突き進んだか」は昭和史いちばんのテーマかなと思うが、個人的には、世界恐慌はひとつの大きな節目だったのかな、と感じる。

1920年代というのは日本は国連加盟国でもあり、陸軍も宇垣一茂など国際協調を重んじる人がいたり、外務大臣にも幣原喜重郎とかいて、「世界のみんなと仲良くやっていこうね」という感じは強かったイメージがある。それが世界恐慌をすぎ、1930年代にはいると満州事変、血盟団事件五・一五事件と血腥い事件が相次ぐようになる。

それでも西園寺公望昭和天皇の意を汲んで国際協調できる人物を首相にしようとしたが、特に二・二六事件以後は陸軍が強大な政治的権力をもち、陸軍の意に反する内閣を潰すことができるようになったあたりから歯止めがかけられなくなった。

当時の雰囲気は想像するしかないが、恐慌による農村の窮乏を発端として、下から突き上げるように軍部が持ち上げられていった、というのが自分の昭和史の認識である。

 

さて、本章後半では戦後の世界経済についてかたられる。

戦後、ブレトンウッズ体制としてアメリカを中心とした経済システムが構築された。しかしこれはアメリカに相当な負担を強いるもので、アメリカにはベトナム戦争によるダメージなどもあり、1971年にこの体制は崩壊。代わりにできたシステムでは金との兌換はできなくなったものの、ドル中心の体制であることには変わりないので、こちらはブレトンウッズ2ともよばれ、現在に至るまで続いている。

しかし、サブプライムローン問題などもあり、このシステムにも限界は見え始めており、また、中国の台頭などもあって、70年間続いてきた日米関係も、近い将来かたちが変わるかもしれない。

日本の衰退がこれからも続けばアメリカにおける日米関係の重要度は低下していき、これからさらに強大化していくであろう中国との関係をより重視するようになっていく、とのこと。

 

第4章 私たちはどう生きるべきか?

本章では、こんな時代を我々個人はどう生きたらいいのか、というテーマで語られる。

1950年代の日本人の寿命は65歳ほどで、55歳くらいには現役引退していたそうなので、65歳くらいで引退して85歳くらいまで生きる現代とくらべると、ここ70年で、「引退後の時間が倍増した」といえる。

そもそも年金制度というのは「引退後10年くらいの期間の生活保証」を想定して誕生したものなので、余生が倍増すれば成り立たなくなるのは当然の話だ。

「逃げられない世代」には、「サラリーマンとして給料をもらって、引退後は社会保障で食っていく」スタイルが成立しなくなることを想定し、あらかじめ準備することが求められているとおもう。

 

著者は最後に、これからの日本社会の変質は厳しいものの、日本の未来は明るいという展望を語る。

自分もわりとそう思う。近い将来日本に危機がおとずれるとすれば、一番考えやすいのは金融危機だとおもう。いまの日本は低金利だからこそ財政難がそこまで問題視されないが、ひとたび金利が上昇をはじめれば日銀をはじめ、国債保有する金融機関も財務危機におちいるとおもう。

もしそうなればその時はおおきくダメージを負うことにはなるが、その時は本著で取り上げられた、先送りシステムや社会保障問題を変革するチャンスでもある。

 

たとえば、今の高齢者世代偏重の社会保障ベーシックインカムなどに切り替われば、それは雇用市場の活性化であったり、企業の採用スタイルの変化であったりと、さまざまな分野に影響をあたえるとおもう。

日本の社会保障制度はさまざまな制度の根っこにあって密接に絡み合っているので、これが時代の要請によって改革されることになればその後の社会の変化は想像以上のものになるとおもう。

 

以上、書評でした。

本著は、経済・歴史に精通する著者が、国際社会における日本のポジションや、日本の政治制度について詳説する本で、たいへんおもしろくすぐ読んでしまいました。

おすすめです。