engawa50’s diary

つれづれ日記。Twitter : engawa50

No.8 ひろゆき『働き方 完全無双』を読んで ①

2chニコニコ動画でおなじみのひろゆきさんの新著『働き方 完全無双』を読んだ。

これからの日本で労働者はどうやって働いていったらいいのか、ということを、日本経済のしくみに着目して書かれた本。 

ブラック企業問題やベーシックインカムなどについても語られている。いい本だとおもったので書評をかいてみる。

 

働き方 完全無双

働き方 完全無双

 

 

序 まずは「個人」と「社会」を分けるとこから

 

本著をとおして、ひろゆきさんの考え方の根底にあるのは「日本経済はこれから停滞を続ける」ということだ。

社会は停滞していくなかでどうやって個人は豊かになれるのかを考えるとき、「個人」の問題と「社会」の問題をわけなくてはならないとのこと。

例えば日本人は生活保護を受給するくらい生活が困窮しているひとであっても、「働かなければならない」という考えがとても強い。これはぼくの身近でもそういう話をきいたことがあるのでわかる。社会的な体裁などを気にして受給に踏み切れない人は多いと思う。

だがこれがアメリカやフランスだったら、「私は自分の権利を追求しているだけです」という考え方があるだけ、と著者はいう。

たしかに多くの人が生活保護を受給するようになってしまったら社会としては問題だろうが、それは政治家が解決すべき問題であって、個人の問題としてとりあげるべきではない。日本は「個人の問題」と「社会の問題」がごちゃごちゃになっているので、社会に追求すべき課題を個人に課したりする、ということだとおもう。

 

第1章 能力なんてものは存在しない

近年誕生したさまざまなネット上のサービスでは、たとえばYoutuberや、ニコニコなら歌い手・生主、ブロガー、など有名人が誕生したが、彼らの能力が高かったのかというと、もちろん能力もあるだろうが、「早くからそこにいた」ことが大きいだろうという。なので新しいことに首をつっこんでおくとどれかワンチャンあたるかもよ、というお話。

Webサービスは無料ではじめられるものも多いのだから、「とりあえずやってみる」という姿勢で損しないとおもう。

 

第2章 あなたが社会に殺されないために

 近年、不当な金融業者、いわゆる「サラ金」の数はぐっと減っている。

これはサラ金を訴える弁護士が増えたためだという。そこでひろゆきさんは、残業代をはらわないブラック企業も弁護士の標的になることを願っているという。

 

将来的には、企業のブラック体質は外注先が標的になるのではないかという。自社の社員であれば労働法を守って働かせなくてはならないし、最低賃金だって守らなくてはいけないが、外注先となれば労働者の保護義務を企業が負わなくていいからだ。

これは自分もそうおもう。

現在アニメーターの仕事はそれだけでは食べていけないくらい低賃金だが、かれらは業務委託としてはたらく個人事業主なので最低賃金など存在しない。

最低賃金・解雇規制のような労働者を保護するルールは、あくまで「労働者」にしか適用できないので、あまりムチャなルールを作ると業務委託が増え、ブラックな実態が見えなくなるだけ、ということになりかねないと自分は思っている。

 

本章中段ではひろゆきさんのベーシックインカム案が語られる。

月7万円を国民全員に配って、解雇規制は廃止すべきという。これが実現されれば、企業は労働者の生活保障から解放され、純粋に資本主義の原理にしたがってビジネスにむかえばいいことになる。

当然競争に敗れる人もでてくるだろうが、BIによって最低限の生活は保障されているし、企業側の「雇うコスト」が減少するので気軽に雇うことができるようになるだろう。

ぼく個人の考えとして、「誰もが一度や二度は会社をクビにされたことがある社会」が健全であり、むしろ「会社の業績が悪くなることを前提としない雇用制度」は日本のあらゆるところに歪みをうんでいるとおもっているので、この考え方は全面的に賛同する。

そもそも、解雇規制が強くなければ「正規・非正規」などといった問題は存在しなかった問題であり、最低賃金というものも「時給500円の仕事ならできる人」から仕事を奪っているだけである。

企業がビジネスを追求することで弱者が生まれてしまう問題は社会保障として解決すべき問題であり、日本はいわば国の責務である社会保障を企業に負わせているだけだとおもう。 

 

第3章 会社がずっと生き残るわけないじゃん

本章のタイトルにも、流動的な雇用状態が望ましいと考えるひろゆきさんの考え方があらわれている。

ぼくも同感である。会社がずっと生き残るわけはないし、それは望ましくもない。日本の大企業に古い会社が多いのは新陳代謝がおこらないからであって、経済にとってよいことだとは思えない。

 

本章では、「優秀なやつの足をひっぱる日本社会」、「新しいものを忌避する日本社会」がかたられる。

こんにゃくゼリー事件、セグウェイ、ドローン、クラブ、P2P、ユッケなど、日本では法律で禁止・制限されたりバッシングされたりしたものがたくさんある。

日本は「よくわからないものはとりあえず禁止しよう」という「新しいものアレルギー」がとても強い。

ここまでひろゆきさんの本を読んでいて、これも「個人」のない日本社会ならではなのかなと思った。

日本人の頭の中には、「ユッケを楽しむ個人の権利」などないのだとおもう。これがアメリカであれば、最優先されるべきは「個人の自由」であって、それを政府が徒に制限することは許されないだろうが、日本の場合には「悪徳業者」にだけフォーカスした議論が展開され、個人という概念がないので「ユッケ禁止にするのが楽だな」という意見が通ってしまう。

 

後半では、日本は観光大国を目指すべきだという話が語られる。

これは経営者たるひろゆきさんらしい意見だとおもった。たしかに日本にくる観光客が見に行くところといえば京都の寺社や、各地のお城など歴史的な建造物の人気は高いと思うが、それらは「そこにあるだけで客を呼び寄せる」ことができる。

工場で人を雇ってなにか作ってもらおうといえばコストがかかるが、神社やお寺など、現代人がもの心ついたときからそこにあったものであって、状態を維持するコストを負担するだけでいいので観光業はてっとりばやく儲ける手段だとおもう。

 

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以上、書評でした。

本書は日本的な価値観にとらわれないひろゆきさんならではの考え方が満載で、とてもおもしろく拝読しました。

なお、ひろゆきさんの前著『無敵の思考』は「得する考え方」がさまざま記載されていて、こちらもおもしろかったです。

 

無敵の思考 ――誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21

無敵の思考 ――誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21

 

 

No7. 鈴木亘『経済学者、待機児童ゼロに挑む』を読んで

東京都の小池都知事のブレーンとして待機児童問題に取り組んでいる、学習院大学教授の鈴木亘さんの著書、『経済学者、待機児童ゼロに挑む』を読んだ。

 

待機児童問題が発生する「しくみ」について、メディアではあまり取り上げられない切り口から解説し、またその解決策を提示する本。

経済学者、待機児童ゼロに挑む

経済学者、待機児童ゼロに挑む

 

 

 

1. メディアでよくいわれる待機児童問題の原因

 

メディアでは、待機児童問題の原因として、以下3点がよくとりあげられる。

 

①保育士不足(さらにその原因としての保育士の低賃金)

②女性の社会進出

③東京圏等の都市部への人口集中

(60pより抜粋)

 

筆者によれば、これらは本質的な原因ではない。

①の保育士不足は2010年以降に騒がれ始めた問題だが、待機児童問題は90年代からあり、どちらかというと待機児童問題を解決しようとした結果として、保育士不足というボトルネックに直面したとのこと。

 

②③も、根本的な原因ではない。

それらで保育産業の需要増を説明することはできるが、問題は、「保育産業は需要増に応じてなぜ供給が増えないのか」という点にある。

 

例えば現代人の生活スタイルの変化によってコンビニに対する需要は増えただろうが、コンビニの前に行列ができたという話はきいたことがない。

コンビニは需要に応じて供給が増えたからだ。なぜ保育ではそうならないのか、が根本的な問題である、と著者は指摘する。

 

2. 待機児童は「社会主義」の産物

日本の保育施設のうち大部分を占める認可保育所は、政府・自治体による多額の補助金によって運営されている。

保護者からの保育料をメインの収入源として運営していないため、認可外保育施設に比べて格段に安い保育料で利用することができる。

 

しかし、これが大きな問題を生み出している。

まず、著しく安い保育料の設定により、本来自分の力で育児できるひとも、認可外の高額の保育料を支払う余裕があるひとも認可保育所を利用しようとするため、大きな需要が発生する。

 

一般に、認可保育所補助金によって運営されているために、経営コストを下げる努力をはらわなくても経営難に陥ることはなく、高コスト体質に陥りやすい。

そして、高コストな保育所の新設は補助金をだす自治体にとって財政的ダメージが大きく、保育所の新設は困難となっている。

 

認可保育所の新設が困難ならその穴をうめるように民間の認可外保育所が増えるはずじゃないか」と考えるのが普通だが、認可保育所の保育料が平均2万円ですむところ、認可外だと6.5万円にもなってしまうので、認可外保育所への需要が著しく制限されてしまっている。

 

補助金によって運営されている認可保育所の著しい低価格サービスが、認可外の保育所の発展を阻んでしまっているのだ。

 

こうして、

a. 認可保育所 - 補助金で運営するが、高コスト体質のため新設は財政的に困難

b. 認可外保育施設 - 認可保育所の低価格サービスに対抗することが困難

 

という、八方ふさがりな感じでいまの待機児童問題は発生している。

 

3. 補助金をなくしたら保育料はあがるのでは ?

待機児童問題が社会主義の産物だからといって、補助金運営をえいやっとやめてしまうと、当然保育料の上昇をまねくだろう。

ただし、保育所への補助金以外にも保護者の保育料負担を軽減させる方法はある。

著者が有効な解決策として提示するのは、「保育バウチャー」である。

これは、保育サービスへのみ使用が可能な「クーポン券」のようなものを保護者に直接配り、それを利用して保育サービスを低価格で利用してもらおうという政策である。

 

これはつまり、今保育サービスにかかわる補助金保育所に渡しているが、それを保育所ではなく保護者に直接渡してしまおう、という政策だ。

 

これは目的はどちらも一緒だが、もたらす効果はまったく異なる。

保育バウチャーを実現させると、保護者はクーポン券を使うことで安く保育サービスをうけることができるが、保育園は保護者・こどもに選ばれる努力をしなくてはいけない。

 

いままでの認可保育園は経営努力などしなくても補助金をうけとることができたが、保育バウチャーが実現されるとそうはいかない。

ほかの保育園と差別化をはかるため、たとえば教育設備のととのえたり、保育士の教育を充実させたりと、経営努力を不断におこない、保護者に選んでもらわなくては生き残れない。

 

普通に考えてみれば、これってあらゆる産業でやっていることである。

アパレル業界もメーカーも金融業界も、他社と差別化をはかり、自分たちだけしか提供できない価値を創造し、あらゆる経営努力をおこなった結果成長しているのである。

 

保育業界だけ市場原理から隔離するべき理由はないとおもう。

保育業界だけ特別あつかいした結果、「爆発的な需要増があるのにまったく供給されない」という、他のあらゆる産業ではありえない問題がおこっているのだ。

 

 

No.6 待機児童問題

昨年4月段階で、待機児童の数は2万6千人に達している。

 

anond.hatelabo.jp

ふるいけど昔話題になったコレをはっておく。

 

 

待機児童問題の深刻さは純粋にこの人数だけで語れるものではなく、その待機児童の育児のために仕事復帰できない保護者たちの問題や、主に都市部の若い夫婦が、我が子が待機児童となることをおそれて子どもを産むことをためらうことによる影響など、社会に対する影響がおおきい。

 

今日は、待機児童問題の本質的な問題についてかきたい。

 

1. 待機児童問題に関する報道

 

待機児童問題がメディアで報道されるとき、保育士の給料が安いために保育士不足であること、認可保育所を設立するための要件が厳しいこと、女性の社会進出によって保育所の需要が増大していること、などにスポットライトがあたる。

 

これらはそのとおりなのだが、問題の扱われ方としてやや表面的だと僕は感じる。

本質的な問題である、なぜ保育士の給料は安いのか、なぜ認可保育所の要件は厳しいのか、といった点に触れないからだ。

以下ではそれらの本質的な部分に触れたい。

 

 

2. 待機児童問題をうみだす、保育産業の構造的な問題

 

まず基本的なおさらい。

保育所には、「認可保育所」と「認可外保育施設」と2種類ある。

認可保育所のほうには、こどもたち何人につき何人の保育士が必要である、とか、園のひろさがこのくらい必要である、といった規制が存在する。

経営主体は自治体や社会福祉法人であり、国や自治体からの補助金で運営されている。

入所児童数で数えると、認可保育所は9割をこえるらしい。

 

それに対して、認可外保育施設は個人や企業で経営されており、一部補助金がでるタイプもあるものの、メインとしては保護者が支払う保育料で運営されている。

 

実際にはほとんどの保育園が「認可保育園」であり、破格に安い保育料でこどもを預けることができる。その運営費は補助金をメインとしているため、保育士の給料も補助金に依存する構図となっている。

この構造を端的にいえば、日本の保育事業は、保育をサービスではなく福祉ととらえ、政府主導で運営することを基本的な構造としている。

日本の保育事業は、「営利目的でやるものではございません」、というのが日本の基本的な立場なわけだ。

 

そして待機児童問題は、保育をサービスととらえないことに本質的な問題があるとぼくはおもっている。

 

3. 保育が福祉であることの問題

 

まず認可保育所はその保育料の安さから、超過需要におちいりやすい。

本来保育とは重労働であり、相当のコストがかかるサービスなのだが、その利用料は市場で決定されているものではないために、自分でこどもを育てる時間的・精神的・体力的な余裕のあるひとにも保育所を利用するインセンティブが生じやすい。

 

また、超過需要が生じたとしても、補助金をメインに認可保育所が運営されている以上、需要に応じてわんさか保育所をつくるわけにはいかない。

保育所のための補助金にまわせる税金にも限りはあるので、保育士の数などに厳しい規制をもうけて、新規参入を阻害するかたちで保育所の数をしぼる必要がある。

 

国からの補助金で全国各地に保育所をつくらなければならないので、その費用は薄く広く、まんべんなく使う必要がある。

能力ある素晴らしい保育士さんがいても、その人の給料を増やすくらいならもう一人雇わなければならない。

保育が福祉である以上需要に応じて保育料をあげられないことと、その低保育料がもたらした超過需要のために、万年人手不足だからだ。

 

4. 保育事業のあるべき姿

 

本来サービスというものは、需要と供給によって価格が決定され、それによって従業員の給料も決定される。

女性の社会進出によって保育所の利用ニーズが増えれば、当然保育料も上昇されるべきである。

保育料が上昇すれば、素晴らしいスキルをもつ保育士さんの給料も増えるし、価格は高くなるために自分で育児をする余裕のある人は自分で育てるようになり、本当に必要としている人に保育サービスがいきわたるようになる。

 

なにより、それだけ需要があるのならそれはビジネスチャンスであり、企業も参入して新しい保育所を経営するインセンティブが存在する。

保育所福祉施設にすぎないから保育所の運営はただのコストになっていて、新しい保育所が全然できない。

企業が運営するならばそれはビジネスになる。

そこに規制をもうける余地はあってもいいだろうが、今の認可保育所の規制のように、「これ以上保育所を増やさないための規制」は必要なくなる。

 

 

5. さいごに

 

保育所がサービスになり、営利目的で運営されるようになると、質が高く高価格な保育所もできれば、質が低く低価格な保育所もでき、バリエーションに富むようになるだろう。

いずれにせよ補助金で運営している今より保育料の価格が上昇することにはなるだろうが、そもそも保育とは重労働であり、莫大なお金がかかるサービスなのだ。

異常な低価格におさえていることによって保育士は低賃金になり、人も減るのでさらに重労働になっている。

また、認可保育所が異常な低価格であるがゆえに本来あるべき価格で運営している認可外保育所を経営難に陥れ、純粋に民営の保育所を誕生させにくい構造を作り出している。

 

政府が保育所を運営してきたために市場の構造が歪んでしまい、未来の人材を育てる保育士という貴重な職業のひとびとを冷遇することにつながり、結果として今の待機児童問題、ひいては女性の社会進出を阻むような大きな社会問題が生まれている。

ここで詳しくは書かないが、完全民営化によって保育料が上昇する問題は、バウチャーなど、市場構造を歪ませない解決策によって対応することが可能だ。

 

ぼくの言いたい結論としては、待機児童問題は政府が人工的に作り出した問題だということ。

こういう社会主義的な政策から手をひいて、市場にまかせていれば、存在しなかった問題である、ということである。

 

No.5 落合陽一『日本再興戦略』を読んで

今日は、落合陽一さんの新著『日本再興戦略』を読んでみた。

若い科学者が日本の歩むべき道を示す本である。

落合さんの考えには自分もかなり賛同する部分が多く、いっしゅんで読み終えた。

以下、書評をかいてみる。

 

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 

 

第1章 欧米とはなにか

 

第1章では、以下の文章が目をひいた。

戦後の工場は同じものを大量に安くつくることに集中していましたが、今は、個々人のニーズに合った多様なものを柔軟につくることを求められています。

 

落合さん曰く、今までの日本企業が歩んできた、自社でイチから全部作ってしまう垂直統合型」の経済は、多様なものを柔軟につくることには適さない。

 

日本経済が戦後築き上げてきた垂直統合型の企業構造は、重工業のような産業とはよく馴染み高度経済成長をもたらしたが、現代の経済には適応できなくなっている、という話は経済学者の野口悠紀雄さんなども著書の中で示していることである。

 

米国のアップルが高収益なのは、自社で工場を持っておらず、製造は中国の会社に任せているからだ。

そうすれば、設計とマーケティングという付加価値の高い仕事にだけ従事することができる。

日本の垂直統合型の「なんでもウチでやります!」スタイルは、正社員・終身雇用・年功序列制度とセットであり、ひとつの道を突き進むには適していたのだろうとぼくはおもう。

しかし、80年代のおわりに成長は鈍化し、アメリカという「先生」のいうことに従うのではなく、まだ誰も歩んでいない道を切り拓いていかねばならなくなったとき、このシステムは機能しなくなった。

 

今、日本に必要なのは「失敗しやすい環境の構築」だと思う。

まえのブログでも書いたことだが、グーグルやフェイスブックの成功の裏には、無数の失敗した企業の残骸が転がっているはずである。

「先生」がいなくなったいま、日本はトライアンドエラーを繰り返し、苦闘しながら「まぐれあたり」を見つけるしかない。

したがって、正社員・終身雇用制度という、企業が40年後の成長を保証して人を雇わねばならない、企業の失敗を前提にしていない雇用制度が機能しないのは当たり前である。

 

 

 

第4章 日本再興のグランドデザイン

 

第4章では、人口減少の日本だからこそ握っている大チャンスと、ブロックチェーンの未来などについて書かれている。

落合さんによれば、人口減少・高齢化がチャンスととらえるべき理由は3つ。

  • 省人化しても反対がおきにくい
  • 日本のあとに続いて中国などが高齢化するので、高齢化対策のソリューションは輸出戦略になる
  • こどもの数が減るので教育コストをかけられるようになる。

 

ぼくはこの中でとくに1つめに注目している。

AIやブロックチェーンの発達で、技術的には省人化していくことは可能だが、少子高齢化というのはそれを政治的にも可能にするとおもう。

 

新しい技術の発達によって社会がよりよく変わる萌芽を見せ始めた時、注意深く考えなければならないのは既得権益をもつ人をいかに包摂するか」である。

 

現在、中国などで無人コンビニなどは実現しているが、これが日本のコンビニでも一般的に導入されるようになれば、今コンビニで働いている人は仕事を失う。

そうすると、コンビニで働く人にとって技術の発展というのは脅威なので、技術の導入に反対するようになる。

しかし、これも前のブログでかいたことだが、2017年は1年をとおして失業率がおおむね3%以下をキープし、「人手不足」が大きなテーマになった年だった。

 

技術革新によって仕事を失う人はたしかにうまれるだろうが、人口減少によってそういうひとの存在を減らすことができ、仕事を失ったひとびとがより高次の仕事へ就くことを可能にする時間的な猶予ができれば、レベルアップした社会に生まれ変わることができるとおもう。

 

かつて産業革命があったときも急激に省人化はおこなわれたわけだけど、それでひとびとはみんな仕事を失って貧乏になったわけではなく、より高次な仕事につき、富を劇的に増やすことに成功した。

AIが人間の仕事をとって変わるようになる未来を、ぼくはいまのところ楽観的にとらえている。

 

また、落合さんは同じく4章でブロックチェーンについても触れている。

日本は中央集権的なシステムだったことはほとんどなく、地方自治こそ日本に合うので、非中央集権的なブロックチェーンは日本になじむだろうと書かれている。

 

そのとおりだとおもう。

かつて日本が日米開戦に突っ込んだときも、日本はいっぱんにイメージされているような中央集権的(独裁的)な体制をしいていたわけではない。

帝国憲法を素直に読めば、当時の日本はあらゆる権力が天皇に帰属するようになっていたわけだが、実際には天皇に拒否権があったわけではなかった。

 

首相をえらぶときには、法的に立場が保証されているわけでもない「元老」というポジションの人間が「次の首相はこの人でどうですか」と天皇におすすめし、天皇はそれを受け入れるのみであった。

元老というポジションは明文化されているわけではなく、維新の元勲たちが担っていた。「こうすれば元老になれます」というルールがあったわけではないので、元老がいなくなればそのポジションは権力の空白と化し、その穴をうめるように軍部が台頭した。

 

こういう「誰に責任があるのかよくわからず、ハッキリしない」スタイルが最悪の結末を迎えたのが日米開戦である。

東条英機だって首相とはいえ、陸軍の情報については統帥部と陸軍省がわけもっていて首相にはなんの情報も与えられなかったので、陸軍大臣参謀総長を兼任しないと継戦に必要な権力を手にすることができなかった。

 

いいか悪いかは別として、こういう非中央集権的なスタイルは日本的で、これはブロックチェーンのような技術と相性がいいとぼくもおもう。

 

また、日本のサラリーマンは会社がキライだ。

嫌ならやめればいいのだが、転職活動に失敗したわけでもないのになぜか同じ会社に終身勤めたがる。

最初から定年まで勤めあげることを前提に働いているので、一度会社が嫌になってしまうと、以後低いモチベーションでずっと働くことになる

これは裏を返せば、日本には、仕事のスタイルを変革することに関して、莫大な需要があるということ。

これはとても大きな市場である。

ブロックチェーンによって個人が組織に所属せずとも信用を手にすることができるようになれば、個人が大きなビジネスをすることも可能にする。それは会社嫌いな日本人の特徴と相まって個人の爆発的な成長を後押しするとぼくはおもう。

 

 

以上、書評でした。

考えるきっかけを与えてくれる、すばらしい本でした。

この本が何万部も売れているというので、これからの日本の未来は明るいな、とおもいました。

 

No.4 非正規雇用者の2018年失業問題

気になる記事を見かけたので以下リンク。

 

diamond.jp

労働契約法の改正によって、2013年4月以降に契約を結んだ非正規労働者は、2018年4月以降、申請すれば正規雇用になれる権利をもつことになっているとのこと。

 

非正規雇用者からすれば、5年間働けば正社員になれる切符を手にすることができる一方で、企業からすれば、契約して5年たつと自動的に正規雇用化させなくてはならなくなる可能性がある。

 

最近話題の雇い止めのニュースは、2018年4月を目前にして、正社員化させることを嫌がった企業が非正規社員を次々とクビにしていることを示している。

これをうけて、「企業の脱法行為だ」と批判する人がたくさんいるわけだが、俺はそもそも制度設計が悪いと感じる。

脱法行為とかではなく、最初からわかってたことじゃない?と。

 

なぜ非正規雇用者が日本に2000万人もいるのかといえば、企業はバブル崩壊後、アメリカも凌駕すると信じていた当時の日本経済のすさまじい力がただの幻想であったことに気付き、リスクに対して過剰に敏感になるようになった。

何かあったときには簡単にクビをきれるバッファ(緩衝材)を用意しておく必要があると学んだので、90年以後非正規社員はうなぎのぼりに増えてきた。

 

企業にとっては戦略上、必要があるから計2000万人の緩衝材を用意しているというのに、その「必要」をどう解消するかということに目をむけず、ただクビにできなくすればいい、というのでは、「臭いものにフタをした」だけではないかなと感じる。

 

たぶんこの法律を考えたひとびとは正義感にあふれ、弱者を救済するために作ったのだろうけど、そういう「弱い人を助けよう」という正義感で政府や官僚がつくった制度というのは、空回りどころか弱者を痛めつけるだけで終わることもとても多い。

 

年金制度はその筆頭。

給与所得を得られなくなった高齢者を救済するため、老後の生活に不安を抱かず生きていけるようにするため、という素晴らしい正義感のもとつくられた制度なのだろうが、財源はまったくないので、将来世代にツケを回し、途方もない世代間格差を生み出してしまった。

今の若者は、「年金もらえるのかな」なんて心配をしているようでは甘くて、「増え続ける社会保険料を払い続けられるのかな」という心配をするべき、と思う。

 

日本人の各世代をみると、一番金融資産をもっているのは高齢世代だ。

年よりが一番金をもっているのに、一番金を持っていない若者から毎月仕送りをしている。

非正規雇用で手取り20万円いかない若者からも、シングルマザーで懸命に子どもをそだてる母親からも、一番お金を持っている年よりへの強制仕送りが公然とおこなわれている。

客観的に考えてみれば、「なんだそのわけのわからない制度は!?」とおもうんだが、年金制度の既得権益者たる老人が、投票の大きな部分を占めているので、この問題は民主主義を貫くんであれば、どうしようもないと思われる。

 

「弱者救済をうたう制度が弱者を作り出す」という笑えないお話しでした。

 

非正規雇用問題については、いろいろ思うこともあるのでまた別途語りたい。

No.3 今の若者が老後にそなえるべきこと

いまの若い日本人にとって、20代で正社員として就職し、30歳ごろには結婚、40歳ごろには家を買う、というかつての日本人の生き方は現実問題としてできなくなりつつある。

それは生活スタイルの変化もあろうし、結婚できなくても家を買えなくても幸せに生きていくことはじゅうぶんに可能だと思う。

 

しかし、考えなければならないのは老後だ。

今の65歳以上の高齢者の生活は、日本が国として構築・運用してきた年金制度の上に成立しているので、これが崩壊すると高齢者の生活の崩壊にダイレクトにつながる。

「年金制度はあぶない」という話は以前から言われていることではあるものの、この「深刻さ」が、あまり日本人の中に共有されていない、というのはよく感じる。

 

現状、年金を含めた社会保障給付費は年間120兆円ほど。

これが、団塊の世代後期高齢者になる2025年には、年間150兆円ほどになる。

あと7年後には年間30兆円ふえるのだ。

7年後ですよ、7年後。

何十年後の大地震の予想と違って、人口構造はいきなり人がたくさん死んだりしない限り変わらない。この推定はほぼほぼあたってしまうことが予想される。

 

日本の財政を楽観視するひとびとは「そんなのぜんぶ国債ではらえばいいじゃん」という。たしかにそれで済むならそれにこしたことはない。

ただ、それで済まなかった場合には、この費用はサラリーマンと企業が半分ずつ負担する社会保険料として、もしくは消費税などの税のかたちで国民のおサイフを直撃する。

 

しかも2025年で少子高齢化がとまるわけではない。日本の財政状況は、これから悪くなることしかありえない

 

今の50歳以下の現役世代は、自分が描いている老後の人生プランをかなり厳しめに設定しておくことが求められる。

日本という国・政府が、「ごはんがたべられない人をつくらない」という基本的な責務すら果たせなくなる将来を、現実の危機として認識する必要がある。

 

問題は「年金をもらえるかもらえないか」だけにとどまらない。

はたからみれば崩壊していると呼んでよい年金制度を、うまくいっているかのようにみせかけるには、現役世代の税・保険料負担の引き上げは欠かせない。

年金をもらえる年齢になる前に、若者が持っている富をすべて年金制度にもっていかれる将来は十分にありえる。

もし将来年金制度が本当に崩壊するとしたら、それを政府が認めるのは一番最後だ。焼野原になったあとになってしか政府は過ちを認められない。

制度の延命のために政府がとりうる策はそれしかないからだ。

 

いまの現役世代は、日本が衰退の一途をたどっていること、財政におおきな問題を抱えていることを認識して、自分の力で生きていく術を模索することがだいじではないだろうか、とおもう。

 

暗い話になってしまったが、ではわれわれはなにをすべきか、という未来の話もこれからのブログでしていきたい。

No.2 日本の労働生産性の低さ

 

1.  はじめに

最近、働き方改革長時間労働など、日本の労働問題がおおきく扱われるようになってきた。

個人的には、電通の事件がひとつの契機となり、2017年は「人手不足」が日本の一大テーマだったこともあって、労働問題への耳目があつまるようになってきたと感じている。

日本の長時間労働の原因は、企業文化的な側面から追及されることが多い。

それも原因のひとつではあろうが、ぼくは、日本の労働生産性が低いことが根底にあると考えている。

単位時間あたりに作れる価値が小さいと、結果として残業代を稼ぐしかない。

以下では、日本の労働生産性の低さの原因について語る。

 

2. 労働生産性の低さ

日本の労働生産性は、現在OECD35カ国中20位(※1)。アメリカの7割ほどしかない

アメリカ人と日本人で、同じ時間だけ働くと、日本人が生み出す価値はアメリカ人のそれの7割しかない、ということ。

これを、「日本は失業率が低く、賃金でみて低レイヤーな方々も働けているから生産性が低くみえるだけ」という反論もあるのだが、ぼくは日本企業のビジネスモデルの問題であるとおもう。

そもそも日米の失業率の差は3%もないくらいで、ここまで大きな生産性の違いを失業率で説明するのは無理がある。

 

3. なぜ生産性が低いのか

長時間労働の根本には、生産性の低さがある。

ではなぜ、日本人は生産性が低いのか。

 

それは簡単にいえば、「生産性の高い産業に人材や資金が流れる仕組みが整っていないから」が答えだとおもう。

日本は製造業ではたらく人の割合が高く、大企業も軒並み古い企業ばかりである。

現在、中国などの途上国で製造業が発達し、白物家電だけでなくiPhoneも中国で製造されている。

冷蔵庫も洗濯機もパソコンも中国製のものを使うようになった現在、日本の製造業がかつての規模を維持するのは不可能だと思う。

大事なのは、時代の要請にあわせて、役目を終えた産業からは人や資金が去り、新たな産業へシフトしていくことだと思うのだが、そういった仕組みが日本にはない、というのがぼくの考えだ。

 

4. 雇用制度の問題

ではなぜ人や資金が移動しないか。

第一に、日本の雇用制度は、長期間同じ会社で働き続けることを前提としている。

新卒で雇った若者を、社内で教育し、数十年単位で人材を育成していく。

こういう制度は、時代が激しくうつりゆく世の中では通用しない。

20年前に冷蔵庫を組み立てるために雇った従業員に、こんにちにいたっても冷蔵庫を組み立てていてもらっていて、もうかるわけがない。その仕事はもう日本人がやる仕事ではないからだ。

第二に、日本は企業自体がセーフティネットであり、社会保障も「正社員の夫・専業主婦の妻」という夫婦構成を前提に構築・運用されている。

日本の制度自体が「すぐには辞めない正社員」を前提にしているので、時代の移り変わりについていけない日本の弱さは企業に閉じた問題ではない。

 

そもそも最近、企業に残業規制を求める声が強くなっているが、それ自体、企業がセーフティネットであることの証である。本来、嫌ならやめればいいだけの話だからだ。嫌でも辞めないという前提があるからこそ、残業規制を強く求めるのだ。

ブラック企業で苦しんでいる人のうち、転職活動をしているのにすべて断られているからやむなくブラック企業で働いている、という人がどれだけいるのか。彼らはみずからの選択として、ブラック企業に居続けている。

 

5. さいごに

まとまりがないが、日本的なシステムは世界に通用してないとおもうんだよなぁ、と

いうのがぼくが感じることだ。

アメリカでは創業して20年ほどのGoogleが国をひっぱる巨大企業になっているが、ああいうことは日本では起こりえないとおもう。

Googleフェイスブックが日本に誕生しないのは構造的な問題で、端的に言って人や資金が急激に集中することがないからだとおもう。

いま大企業で働いている40代ぐらいの人が、「おもしろそうじゃん」の一言でベンチャー企業に移動する、ぐらいの人の移動が可能にならないと、爆発的な成長は生まれない。

Googleフェイスブックの裏には、無数の失敗した企業の存在があるはずだ。鍵となるのは、そういった失敗ができる環境をどうやって構築するのか、チャレンジャーたちのジャマをせずにすむか、ということにあるとおもう。

そういう成長する基盤を整えるためには、規制緩和できることもあろうし、ベーシックインカムのような方法もあるだろう。

とくに、セーフティネットを企業が負担する社会から、国が負担する社会にかえるという意味で、ベーシックインカムは日本で実装する意味はとても大きいとおもう。このへんは別途かたりたい。

 

※1

http://www.jpc-net.jp/intl_comparison/intl_comparison_2017_press.pdf